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書かずにはいられない読書感想

文学と哲学が多いかも

神さまがいるって思えなくなったこと

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最近、神がいるって感覚が薄れてます。

 

昔はね、神さまが私のことそっと見守ってくれてるんじゃないかって思ってて、成人してからも、うっすらと引きずってたんだけどなー。

 

それが最近になって、ふと気づいたら、祈りの対象がいなくなってて、手を合わせても目の前に神さまがいる感覚もなくなっちゃったし、特定の宗教も持ってないから思い出し方もわからないし。

 

ひとりの少女の純真っぽさに過ぎなかったんだなって。

 

もし、神さまの感覚があのころなかったら、どうなってたんだろ。
今は自分なりの心の持ち方とかルールがあって、なんとか生きてるけど。

 

どこいったんだろう。
あの神さま。

ふつうに読書できるだけで勝ち組に見える

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ついつい、読まなくてもいい本に手が伸びるんだよねー。

しかもちょっと読んだら、飽きて読まなくなる。
虫食いの本、製造マシーンになってる。

 

「あーあ、今日も本読めなかったな」って、寝る前に自己嫌悪になるのが得意。

 

一気呵成に読まないとだめだね。
「この本を読もう」と思ったら、ちゃんとその日のうちに消化しないと、次の日になると読みたい気持ちがどっかいってる。

3時間くらいぶっ続けで読むくらいじゃないと。

 

でも平日にそんなに読めないし、どうしたらいんだろー。

だいたいさ、なめくじ読書しかできない人間にとっては、3時間あっても半分も読めないからね。

もはやふつうに読書できてるだけでも、その人が勝ち組に見えてくるよ。

 

読まないと「いけない」本を、読み「たい」本にできればいいのに。

遠藤周作「沈黙」読書感想:哲学的魅力なし。映画化されたのに

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この終わり方はないでしょって思いました。

正直。

アマゾンの評価はめっちゃ高いですし、ノーベル賞候補にもなったくらい有名な著者だし、最近映画化したんで読んでみたんですけど、私には向いてなかったみたいです・・・。

 

司祭が主人公なんですけど、村人たちは一生懸命、司祭の教えを信じて踏み絵を拒み続けた挙句、ムシロにくるまれて海に放り投げて殺されたり、海の杭にハリツケにされたりします。
それなのに最後は、ネタバレになっちゃうんですけど、捕まった司祭が「もし、キリストがここにいられたら・・・たしかにキリストは、彼らのために転んだだろう。・・・愛のために。自分のすべてを犠牲にしても」とか言って、自分だけは踏み絵をして生き延びるんです。

 

なんの説得力もなかったです。
この本を読むよりも、アウグスティヌスの告白を1ページ読んでたほうがいいと思いました。

 

それにラストシーンだけじゃなくて、全体的に面白いセリフがなかったです。
言ってることって結局、「こんなに私は苦しみを耐えてるのに、なぜ神は現われないんだ、今こそ現れるときだろう」というのを、言い方を変えながら延々と反復してるだけで、その言葉の言い換えの豊かさはすごいんですけど、哲学的な示唆は一切なかったです。

 

テーマとして打ち出してるのは、「弱い者のほうが強い者より苦しんでることもある」ということだと思うんですけど、物語を読む限り自己弁護に聞こえてしまいました。

 

せっかくなので最後に、キュンときたところを引用して終わります。

基督は美しいものや善いもののために死んだのではない。美しいものや善いもののために死ぬことはやさしいのだが、みじめなものや腐敗したものたちのために死ぬのはむつかしいと私はその時はっきりわかりました。

司祭は昔から孤独な瞬間、基督の顔を想像する癖があった。だが捕えられてから――特にあの雑木林の葉ずれの音が聞える夜の牢舎ではもっと別の欲望からあの人の顔をまぶたの裏に焼きつけてきた。その顔は今もこの闇のなかですぐ彼の間近にあり、黙ってはいるが、優しみをこめた眼差しで自分を見つめている。(お前が苦しんでいる時)まるでその顔はそう言っているようだった。(私もそばで苦しんでいる。最後までお前のそばに私はいる。